2024.03.25

廃線直前の幾寅駅の思い出づくり キャメラマン・木村大作さんを招いて 『鉄道員(ぽっぽや)』上映会

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2024年3月23日、北海道空知郡南富良野町「南富良野町保健福祉センターみなくる」にて映画『鉄道員(ぽっぽや)』(監督:降旗康男、主演:高倉健)上映と、当時キャメラマンを務めた木村大作さんの講演が行われました。

『鉄道員(ぽっぽや)』の舞台となった幾寅駅はこの3月31日をもって廃線が決定。121年の駅の歴史を閉じるのに当たって、幾寅駅の魅力を振り返り、町民の心に思い出を刻もうと南富良野町企画課まちづくりプロジェクト推進室がこのイベントを企画しました。
幾寅駅は25年前に町の方々の協力のもと、高倉健さんらが『鉄道員(ぽっぽや)』のロケ撮影(1999年1月17日〜1月30日)を行なった駅。本来の駅名は「幾寅駅」ですが、駅舎には「幌舞駅」という劇中の駅名が撮影時のまま今も掲げられています。奇しくも廃線寸前の駅という映画の内容と現実が同じ運命を辿ってしまうことになりました。

2016年に台風被害を受けた後、幾寅駅の線路には一度も列車が走ることはなく、復旧の目処もつかないままの廃線となってしまいます。列車が走ることがなくなっても、駅舎内には高倉健さんが劇中で着用した「駅長のコート」をはじめ小道具や関連する品々が飾られており、さながら『鉄道員(ぽっぽや)』記念館に、日本全国、アジアを中心とした海外の方々も年間4万人も訪れる観光地となっています。幾寅駅には駅舎に加え、撮影の為だけに建てられたセットが3つ、今でも残っています。本来ならば撮影終了後に壊すもので、冬の雪の重みにも耐えられるようには作られていません。けれども、「どうしてもこのロケセットを残したい」という町役場の強い熱意に、半ば絆される形で、残すことが決定しました。毎年11月下旬から4月まで、積もる雪の重みにも耐えてきたロケセット。廃線が決まった時、普通ならば駅舎を含め取り壊しますが、地元の方の熱い思いから、駅舎を含め3棟のロケセットもこのまま維持していくことになりました。

残されたロケセット3つ

井口商店

だるま食堂

平田理容店

木村さんは、上映前に集まった幾寅婦人会の方と駅舎の前で写真を撮りながら昔話に花を咲かせました。婦人会の方々はロケ撮影中、毎日ボランティアで食事作りに協力し、昼食に提供された手作りのイモ団子は、高倉健さんに「おいしい!」と言わしめたものです。ジャガイモを茹でて潰して片栗粉とねり、焼いた素朴なものですが、地元のジャガイモを使い、熱々のところにバターを塗って食べるのは極寒のロケの最中には特に美味しく感じられたようで、高倉さんは東京に戻ってからもこの味が忘れられなかったと聞きます。上映会当日も、婦人会会長の後藤さんの手作りのイモ団子が木村さんに振る舞われました。婦人会の方々はじめ町の方々はボランティアで駅を清掃し、高倉健さんの命日には毎年、祭壇を設け、イモ団子やコーヒーを供えたり、木村大作さんの文化功労者に選ばれた時は、駅舎の中に「おめでとう」の幕を掲示し、一緒になって喜んでくれるなど、常に『鉄道員(ぽっぽや)」』と共に歩んで来てくれた方々です。

この日、上映会に集まったのは主に南富良野町の皆さんでしたが、遠く広島や埼玉などからも駆けつけた130人が鑑賞しました。冒頭、南富良野町の髙橋秀樹町長の挨拶に続いて木村さんが登壇され、講演を行いました。

木村大作さん コメント

撮影当時は59歳。そこから25年経った今、高倉さん、降旗監督ら当時のスタッフ、キャストも鬼籍に入ってしまい、生き残っている自分が「この映画を語り継ぎたい」と本日来させていただいた。
当初、この企画に難色を示していた高倉さんだったが、自分にできることは先行してロケハンして準備することだと、2週間ほど北海道中をトラックで自ら運転してたどり着いたのが幾寅駅だった。幾寅駅は駅舎より線路が高いところにあり、乗客は階段を登ってホームから列車に乗り込む。幾寅駅に決めた理由は、この階段が高倉健や登場人物の心情を表すから。映画公開から25年、その後初めて駅舎に訪れた。当時駅舎の周りにはコンクリートの電柱が3本あった。撮影するのは映り込むのが必至だったので、J R北海道や電力会社にお願いして、木の電柱に変えてもらった。その木の電柱が今でもそのままあった!
(前日、東京から飛行機で新千歳空港着、列車と車を乗り継いで4時間かけて南富良野町に到着したが)本当に遠いな!でもこの駅を選んだのは俺だった!(笑)。
廃線はとても残念だが、今の世の中、仕方のないこと。ただ、列車が通らなくなると廃れてしまう駅を今までたくさん見た。高倉さんの出演映画は北海道ロケが多く、34本を数えるが、その中でも鉄道とのつながりは特に多い。『駅ステーション』の増毛駅、『幸福の黄色いハンカチ』の夕張駅など廃線になってしまった駅も多い。列車が通らなくなると町は廃れてしまいがちだが、町の人たちの元気が無くらないよう頑張ってほしい。駅舎とロケセットを残すことを決めてくれたことは本当に嬉しいし、ありがたい。
エキストラで出演した女性は、当時幾寅駅の乗客の一人として参加した際に持っていた鞄を持参し、高倉健さんから「協力、ありがとう」と言われたことが本当に嬉しかったと語りました。
映画をご覧になった方は
「感動しました。高倉健さんがあの世から現れたのかと思いました。素晴らしい上映会ありがとうございます」
「初めて映画を見ました。地元の風景に高倉健さんが存在していること、すごいと思いました」
「今まで小さい画面でしか見たことのなかったけれど今日大スクリーンで見ることができて興奮しました。高倉健さんのかっこよさ。忘れません」
「映画とおなじ状況になってしまったけど、駅を保存してくれることはとても嬉しく町の誇りです。永遠に残してください。」
公開前に撮影協力のお礼として監督の降旗康男さん、高倉健さん、小林稔侍さんが記念の植樹を行なったブンゲンストウヒが今も聳え立っています。夏には葉が銀白色になり耐寒性が高いことから選ばれた杉の一種。立派に聳え立つこの木は25年間、常に駅舎を見守っています。

南富良野町 コメント

映画『鉄道員(ぽっぽや)』のストーリーと同様に南富良野の線区が廃止となり、町内を走る列車の雄姿を見ることがなくなった。町の開拓に既に2016年の災害から7年以上が経過。列車の走らない踏切を通学・通所する地元の子ども達も増えている。明治時代に開通以来100年以上の歴史を持つこの鉄道は、本町の開拓の礎となり、人を運ぶだけではなく、基幹産業である林業・農業・鉱業などの物流を支える重要な役割を果たしてきた。将来に向け、幾寅駅を名作(映画)を作った駅舎として、子どもたちへ引継ぐとともに、今後もロケセットを残して地域振興に繋げていく。老朽化したロケセットを改修し、東映様のご協力の元に塗装を施し、本町の大きな観光資源として活用し続け、町観光協会が現在と変わらず管理を行う。