MOVIE

脚本家 松田寛夫訃報

DATA
2022.04.01

脚本家 松田寛夫(まつだ ひろお)が、3月24日(木)午前8時、都内病院にて逝去致しました。

脚本家 松田寛夫(まつだ ひろお)が、3月24日(木)午前8時、悪性リンパ腫の為、都内病院にて逝去致しました。享年88才。葬儀は故人の遺志で3月29日家族葬として既に執り行いました。喪主はご長男の松田道別(まつだ ちわき)。生前のご厚誼を深謝し、謹んでご連絡申し上げます。


【プロフィール】

1933年(昭和8年)9月3日京都府出身。
1958年(昭和33年)京都大学文学部卒業。東映株式会社入社。京都撮影所に助監督として配属。
1962年(昭和37年)企画本部企画室文芸課に異動。

以後脚本家として以下の様々な作品を手掛けた。

映画監督の松田定次と、女優・松浦築枝(まつうら つきえ)夫妻の養子。


脚本を手掛けた主な作品

【映画】

「網走番外地 大雪原の対決」(1966年)石井輝男監督
「人斬り与太 狂犬三兄弟」(1972年)深作欣二監督
「実録私設銀座警察」(1973年)佐藤純彌監督
「女囚701号さそり」(1972年)、「女囚さそり 第41雑居房」(1972年)、「女囚さそり けもの部屋」 (1973年)「女囚さそり 701号怨み節」(1974年)伊藤俊也監督
「0課の女 赤い手錠」(1974年)野田幸男監督
「仁義の墓場」(1975年)深作欣二監督
「柳生一族の陰謀」(1978年)深作欣二監督
「その後の仁義なき戦い」(1979年)工藤栄一監督
「誘拐報道」(1982年)伊藤俊也監督
「序の舞」(1984年)中島貞夫監督
「花いちもんめ」(1985年)伊藤俊也監督 第9回日本アカデミー賞最優秀脚本賞
「夜汽車」(1987年) 山下耕作監督
「将軍家光の乱心 激突」(1989年)降旗康男監督
「社葬」(1989年)舛田利雄監督 第44回毎日映画コンクール脚本賞を受賞
「天国の大罪」(1992年)舛田利雄監督 
「新 極道の妻たち 惚れたら地獄」(1994年) 降旗康男監督
「プライド 運命の瞬間」(1998年)伊藤俊也監督 


【テレビ】
「バンパイヤ」(1968-1969年 フジテレビ)
「プレイガール」(1969-1971年 テレビ東京)


《コメント》
伊藤俊也(映画監督)
松田さんと私は長らく二人で脚本作りに励んでまいりました。
今は半身を奪い取られた気持ちです。
今後も松田さんだったらどうするという思いで仕事をしたいと想います。

ページ上部へ

  • ⓒ東映