東映ホーム > 東映マイスター > vol9渡瀬恒彦京都撮影所マイスター 今までサラリーマンやってた奴が、何日か後に映画の主演をやるんですよ(笑)

撮影所マイスター対談 『渡瀬恒彦さんと東映京都撮影所』

今までサラリーマンやってた奴が、何日か後に映画の主演をやるんですよ(笑)


京都の家はみんなの溜まり場だった

渡瀬恒彦さん

奈村)渡瀬さんがお母様と京都に住まわれていた時代、私は製作進行でした。よくお母様にご飯を食べさせてもらいました。

渡瀬)京都の家はみんなの溜まり場だった。他に行くところもなかったしね。

奈村)お酒も飲ませてもらったりして、深夜まで演劇論やら映画論やらを交わしてワーワーやっていました。我々としては貧しい時代でしたから、渡瀬さんが撮影で家に居ない時も行って、晩飯を食べさせてもらいました。お母様は手際よく美味しいものを作ってくれました。

渡瀬)集まる人たちのパート(仕事)が違うんです。録音助手やら助監督やら役者とか。何人かで1本の映画を観て、話しを始めるとどこが面白かったとかみんな違う。自分たちの仕事の視線で見ていたので面白かった。

奈村)でもお母様は大変だったと思います。毎日毎日夜中まで騒いでいるわけだから眠れない。僕としてはお世話になりっぱなしで、渡瀬さんには頭が上がりません。

渡瀬)年も俺の方が上だしね。たまに自分たちだけで、飯を炊いたり、酒のあての鍋を作ったり、毎日毎日、夜中までその日の出来事なんかを話した。例えばロシアの映画なんかを観たら、ただ人がたくさん出ているからうらやましがったり(笑)。

奈村)渡瀬さんは大学の先輩でもありますし。僕が(京都撮影所の)所長代理になった時に、最初に「なんでお前が所長代理なんだよ」って言われました。それはきっと“お前みたいな奴がどうして管理職できるんだ?現場に居ろよ”という意味だったと思います。

渡瀬)そうした明日のことを考えなくても良い時期が5年ほど続きました。今はもう考えてなくては駄目な年令でしょう。こうした時期はとても楽しいものでした。

サラリーマン時代に「役者をやってみないか」と言われ
渡瀬)サラリーマン時代に、東映の岡田茂さん(現・当社名誉会長)から役者をやってみないかという話があり、岡田さんが企画製作本部長だったかなあ。会ってみたらほんとチャーミングというか、魅力的な人で、5年くらいは騙されてもいいかなって思った。岡田さんからはひとこと「やれっ」て。今までサラリーマンやってた奴が、何日か後に映画の主演をやるんですよ(笑)。まあすごい会社だよね。演技の勉強もなく、京都に来て、先ずは監督の石井輝男さんと同じ部屋に泊めさせられた。それから毎朝、監督と一緒に起きて撮影所に来て、それでずーっと終わりまで撮影に付き合った。当然自分の出番なんか関係なしにね。

奈村)むかし渡瀬さんから聞いたことがあります。「昔は兄貴(渡 哲也さん)より俺の方が、親からも親戚からも評価が高かった。大学も俺は早稲田で、兄貴は青学だ」って(笑)。それで兄貴が役者、俺がサラリーマンになったら、もらっている金がぜんぜん違う。それはプライドが許さん、と役者になったと。

渡瀬)学生時代は、「君のお兄さん?」って聞かれるのが、兄貴が役者になると、「あっ弟さんですか」って。そりゃそうだよな。

奈村)渡さんが初めて京撮へいらした時、弟である渡瀬さんの思い出として、「あいつは小さい頃、一度に犬を4匹連れて散歩に行った。みんなが危ないから止めろといっているにも関らずにね。そうしたら案の定、犬に引き摺られて傷だらけにになって帰ってくるんだ。そういう奴なんだよ」って言っておられました。“やんちゃで、優しい、そして根性ある奴だ”という兄の思いが伝わってきました。

渡瀬)何か気持ち悪いな(笑)。

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