東映ホーム > 東映マイスター > vol8アニメーション勝間田具治 インタビュー 映画黄金時代の京都太秦撮影所、そしてアニメの世界へ

ヒーローアニメマイスター 勝間田具治監督 『アニメーションに伝達された活動屋魂!』

映画黄金時代の京都太秦撮影所、そしてアニメの世界へ


昭和の名脇役、岸井明(きしいあきら)を叔父に持つ勝間田さんは、学生時代から叔父に連れられ、大泉スタジオ(当時)で撮影見学をするなど、映画は身近な存在でした。転機は大学時代、叔父の出演する『大菩薩峠』(監督 内田吐夢 東映京都 1957)の撮影を見学したときのことでした。

 

勝間田)叔父は僕を役者にしようとしてたんだよね。見学に行った現場では、叔父は「与八」の役でね、御詠歌(ごえいか)を歌いながら仏像を彫っているシーンなんだけど、内田さん、リテイクがすごいんだよね。9時に入って11時ごろまで何度も何度もやらされてる。これはもうとんでもないってんで、その日帰ってきて叔父さんに「俺ヤだよ、役者」って言った。「じゃあ何をやりたいんだ」って訊くから、しばらく考えて「あの監督ってえのが格好いいから、監督になりてぇんだ」って返事したら、「それもいいか」ってことになって(笑)。叔父の家が成城で、マキノ雅弘さん (※1) の家と近かったのね。それが縁で、マキノさんに預けられちゃった。

そのころついたのが『恋山彦』(1959)とかね、お金はもらってなかったけど、内弟子みたいな形でね。卒業後は『港祭りに来た男』(1961)や『次郎長三国志』(1963)とか、ほとんどマキノさんについてた。もちろん、当時は第二東映があって忙しかったから、マキノさんばっかりついてらんない。工藤(栄一)組もあったね(『次郎長血笑記 富士見峠の対決』『次郎長血笑記 殴り込み荒神山』(1960))。次郎長ばっかりやってるな(笑)。田坂(具隆)さんの『ちいさこべ』(1962)にもついた。石原裕次郎の『陽の当たる坂道』(1958 日活)見てファンになっていたから、嬉しかったね。

マキノさんはとにかく撮影が早い。立ち回りの撮影なんか、キャメラ三台を使って半日で撮っちゃう。他の人だと、もう三日も四日も撮ってる。

次郎長三国志
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マキノさん、よく中抜き (※2) を使うんだけどね。『次郎長三国志』でこんなことがあった。津川雅彦さんが増川仙右衛門役でね、斬られて、頭に包帯をしているシーンを一日撮ったんだけど、翌日、記録のミサちゃん (※3) が「カッチャンやばいよ、雅彦ちゃん包帯してなかったよ」って(笑)。しようがないから監督のところ行って、これこれこうですけどって言ったら「そうかあ」ってちょっと考えて「俯瞰台を用意してくれ」って、俯瞰台の上にキャメラ乗っけて。一発目に次郎長一行が夜の街をこわごわ歩くところを撮るんだけど、「おい雅彦、キャメラのちょうどいいところで、ぽーんって空に向けて思いきり包帯投げろ」って(笑)。これでシーンが繋がっちゃうんだ。さすがマキノのおっさんだなと思ったね。

映画のための要領はすごくうまかったね。僕なんかもアニメの演出でね、アニメーターが細かいこと言ってくるのを「ここはあとでつながるから、気にしなくていいんだ」なんて言ってて、ああ、当時のマキノさんの教えなんだなと思うことがあるな。

あと当時の京都撮影所は「東映剣会(つるぎかい)」が凄かった。僕はそんなに思わなかったけど、東京から行く役者は大概、当時京都の撮影所のスタッフはいばってて怖いなんて言ってたな(笑)。

立ち回りの殺陣(たて)や擬闘(ぎとう)はみんな、剣会や殺陣師の人がつけてるんだ。ここばかりは順撮りでね、御大 (※4) が最後に倒すのは進藤(英太郎)さんとか、薄田(研二)さんとか決まっててね、で最初は加賀(邦男)さんや、剣会の役のついた人なんかから撮影がスタートするわけ。
そうやって殺陣の撮影を延々とやってたもの。後に、あの“間”や“型”は『タイガーマスク』なんかでだいぶ取り入れたんだ。“やられ、やられて、やりかえす”みたいな流れとかね。
 
昭和37年、東映動画は京都撮影所より、アニメ映画の監督を任せるべく、実写映画の演出家を招聘しました。このとき、矢吹公郎(『アンデルセン物語 』『一休さん』他)、設楽博(『ゲゲゲの鬼太郎』『魔法使いサリー』他)らが応じています。この時勝間田さんは田坂組の演出助手だったため、一度誘いを断りましたが、2年後の昭和39年、再度の招聘に応えることになります。

『狼少年ケン』

勝間田)そのときはテレビアニメが始まるから、 来たら即監督にするって言うんだね。京都では給料は少なかったけど、 それでも映画黄金時代のマキノ組やってたわけでしょ、僕は本当は来たくなかったん だな。最終的には来てよかったろうって言われるけど、僕は、いやぁ、一本だけ実写 映画を監督したかったな、とは今でも思うね。

東映動画に来て、まず最初に『狼少年ケン』(写真)で2本、助手をやった。パクさん(高畑勲)と山本寛巳さんだったな。アニメと実写の演出はね、基本的なところはまったく同じなんだけど、実写だとキャメラの前で役者の芝居がワンカットワンカット見られるでしょ。アニメは紙をこう、ペラペラってめくって見るわけで、そこがもう全然違う。あとタイミングがわかんない。役者だと、もう一回、早くだの遅くだのやりなおしてもらえるけど、アニメはシートの枚数で調整しなくちゃいけない。

『少年忍者風のフジ丸』

『少年忍者風のフジ丸』で円月殺法 (※5) をやったんだ、まあるく剣を回して、残像が残るみたいなシーン。ところが当時の僕は秒数の感覚がないんでね、2秒ってコンテに書いて、あとから出来たの見たら「おい、誰だよ、こんなに早くしたの」って(笑)そしたら助手が「勝間田さんのコンテに書いてあります」「そうかあ、20秒いるのかぁ」(笑)なんて失敗があってね、最初のころ。

そのうちに、アニメ殺陣や擬闘なんか、監督本人が作らなければならない、そうなると、セットで見てた殺陣師のやり方なんかが役に立ってくる(笑)。マキノ監督が、役者に自分で芝居やって見せて演出するっていうのが有名だけど、あんな感じだね、こう斬って、こう斬られて、みたいにアニメーターの前で実演するんだよ(笑)。後で殺陣師の足立伶二郎さんが遊びに来た時、「カッチャン、アニメは監督が殺陣つけんのかい」なんて驚いていたけど。

『UFOロボ グレンダイザー』(1975-77)のときなんかは、もう立ち回りばっかりで嫌になっちゃってね。なにかいい手はないかって、もうグレンダイザーが、やられっぱなしになっちゃって、最後にパアッ!と雪の中で立ちあがって、ダァッ!!っと一発最後!終わり!っていうマキノ流をやったことがあった(笑)。昭和残侠伝の世界だな。格好いいって評判だったね。
 

※1 『マキノ雅弘』
「日本映画の父」マキノ省三を父に持ち、日本映画創世期から戦後の日本映画黄金期、時代劇から任侠映画まで、粋で洒脱で艶やかに、幾多の名作・傑作を世に送り出した天才監督。

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※2 『中抜き』
映画製作時に、撮影時間短縮のために用いられる手法のひとつ。同一のセット、同一の俳優の出演シーンなどを脚本の前後と無関係にまとめて撮影してしまうこと、あるいはひとつのシーンにおいて、同じアングルや同じ役者のセリフだけをまとめて撮影すること。編集時に繋がりに問題が生じないよう、監督には卓越した技量が要求される。
※3 『田中美佐江』
200本以上の作品暦をもつ“京都のお母さん”。代表作に『仁義なき戦い』シリーズ(1973-74)、『極道の妻たち』シリーズ(1986-95)他多数
※4 『御大』
東映設立時に取締役俳優であった、片岡千恵蔵(山の御大)、市川右太衛門(北の御大)を称してこう呼んだ。
※5 『円月殺法』
柴田錬三郎の「眠狂四郎」シリーズに登場する必殺技。



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