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Vol.3 映画『劔岳 点の記』木村大作監督「東映社員に告ぐ!」

魂の記録 『劔岳 点の記』を語る

映画人生50年、命を懸ける映画を作りたかった

小川)実際に映画を見て、最近の日本映画にはないスケール感のある作品でした。またメイキングを事前に見ていたのも相まって、剱岳に登っているかのような臨場感を味わえました。実際に自分には“劔岳”を登る体力はありませんが、
木村)だいじょうぶだよ、登れるよ(笑)最初は大変だけどな
小川)近年の映画は、テレビと映画の境界がはっきりしない作品が多く見受けられます。「劔岳 点の記」では、監督が一人で企画を立ち上げられ、先ずそれを東映に投げることから始められたと聞きます。その原動力はどこから来るのでしょうか。
木村)年齢もあるだろうな。今年7月13日に70歳になるんだよ。人生の終末を歩いているんだ。
全員)まだまだですよ。
木村)そりゃ、お世辞だよな。大体70でさ、青年なんて言わないだろ。老年だよ、後5年もすりゃあ、後期高齢者だよ。(笑)
もう映画人生50年になる。そうするとね、何か懸けたくなるんだよ。この映画でも「何をしたかではなくて、何のためにしたかが大事です」という台詞が出てくるけれど、50年間何をやってきたのか、"命を懸けるような映画をつくりたい"という思いはあったね。それと、こういうキャラクターだから、映画界では悪評高いキャメラマンだったんだよ。仕事の幅がどんどん狭くなってきて、自分で自分の首を絞める状態だったんだな。今たくさん若い監督が出てきるけど、例えばプロデューサーがそうした監督に木村大作とやってみたらと言うと、全部断られるよ。でも、まだこの映画の世界に残っていたいんだ。やっぱり映画界は面白いよ。そんな心境がずーっとあったんだ。
昔からだけど、自分の車にいつも自前の35mmフィルムキャメラを入れていて、1939年製でちょうど俺と同じ年齢なんだ。そして暇になると、そのキャメラと一緒に時々旅に出る。僕はずいぶん前から独身だから自由なんだよ。まあ、宮﨑あおいさんみたいな女性がいたら分からなかったけど。(笑)そして、目的を決めずに車でびゅーっと走り出しちゃうんだよ。そしてたまたま2006年2月に行った所が"能登半島"。で、何を撮りに行ったかというと、怒涛逆巻く日本海を撮って置きたくてね。もう25年くらいこんなことをやっているな。
そうして能登半島には10日間くらい居たんだけど、天候が良すぎて東京へ戻る帰り道に北陸道を走っていると右側に"立山連峰"があったんだ。真っ白でね、当然そこには「劔岳」がある。 実は「劔岳 点の記」の本を以前単行本で読んでいたからかな、何となく劔岳でも拝んで帰ろうと思ったんだな。
車を降りて場所を探して、その風景をキャメラに収めたんだ。俺の車の中には、いつも文庫本が何冊かあるんだけど、たまたま「劔岳 点の記」の本があって目の前で読み出したんだ。そしたらあっという間に引き込まれたんだよ。まずはドラマ。ただ地図を作る為だけに黙々と献身している姿がそこにある。日本映画ではよく誰かが死ぬとか病気になるとか、悪者がいたりしてドラマが作られている。中には良いのもあるけれど、何でこんな映画ばっかり作るんだって疑問に思うことがよくあったんだ。この映画はそうしたことを全て排除して、単純に日常だけ撮って映画を作って見ようという気になったんだなあ。大自然がバックにあるのだから、「自然がドラマを作ってくれる」、そういうことからスタートしたんだ。でもやはり映画化は難しいとか、どこがお金を出すんだろうか、でもやりたいなあと思いをめぐらしているなか、"坂上順"さん(現、株式会社東映京都スタジオ社長)に話したんだ。そしたら、坂上さんがぜひやりたいと言ってくれて、そこから話は動き出したんだ。
その後、フジテレビの"亀山千広"さんが乗ってくれて、本格的になった。そこまでに1年はかかった。やはりテレビ局が参加しない映画は、中々伸びていかない。それで坂上さんと話をして、どこと組むのが一番いいのかって、それは亀山千広さんだって。何となく感じていたんだ。あの人だったらきっとこういう映画をやってくれるだろうって。それで話を持っていったらあっという間に決まった。非常に俺は嬉しかった。そして、もしこの企画が実現しなくても3年は生きられると思ったね。映画のことを考えていれば、俺の場合は行動を伴うから車であっちこっちに行くからな。こういう話をしていると本当かなと思うだろ?本当なんだよ。(笑)
2005年の正月、秋田の男鹿半島に一人で行ってさ、崖の上にある灯台へとキャメラを担いで行ったんだ。風なんかびゅーびゅー吹いてさ、誰も居やしない所だよ。そんな吹雪で何も見えないところで、一人でタバコを吸いながら状況が良くなるのを待っていたんだ。寂しいだろ。誰も見ていない。でもそんな自分の姿に惚れ惚れする時があるね。そこに1週間居て、まあまあの画を撮ったんだよ。でももしそのとき画が撮れなかったら、翌年も男鹿半島に行ったはずだよ。俺はしつこいからね。
もし行っていたらこの「劔岳 点の記」は今ここにはなかったよ。これは運命だと思っているよ。『鉄道員』の時なんかは、前年にロケ先となった駅を、一人で北海道を旅して発見したんだ。俺は映像に責任を持つ立場だと思っているから、その場所を監督にプレゼンしたんだ。
自分の場合は企画の段階から話が来るから、実現するかしないかの段階で大ちゃん頼むよってね。そうしたら他の仕事は、全部断るんだよ。もちろん企画が実現して封切られるまでね。ある種のこだわりなんだけど、早め早めにいい場所を監督に提示したいんだ。俺が撮りたいと思うところでないと撮りたくないタイプだから。
今回は監督だからね。坂上さんに話を持っていった時は、スケジュール、ロケ場所いろいろ決めた後に持っていったんだ。普通さ、映画が決まってからどうしようかだよ。でも、そんなのは嫌なんだよ。だって2年かかるとか、200日山に入るって言ったら、まず普通は、「大ちゃん、1年でできないの」って話になるよね。それじゃ駄目なんだ、「2年かかる。じゃなければ止めにしてもいい」って常に言っていた。そういう意味でも坂上さん、亀山さんの二人には感謝しないとね。

監督自らがキャスティング

(C)2009『劔岳 点の記』製作委員会

山本)音と映像が美しく、全編を通して人が"どう生きていくのか"ということが大きなテーマの話で、中でも、あの素晴らしいキャストの方々が揃ったことがすごいことだと思いました。監督がすべてキャスティングされたのでしょうか?
木村)キャスティングと言えば、東映の意向と俳優の事務所が話をして決めていくけれど、それで行ったら断られると思ったので、一人一人自分で行ったんだ。この映画では"志がないと参加はできない。『劔岳 点の記』という映画のスケジュールに合わない俳優さんはいらないんだ"と言ってね。
日本映画は俳優のスケジュールで動いているからな。山に登ったらそうはいかない。2年で200日山に登らなくてはいけない。順撮りで、髭が伸び方まで全部その通りに撮っていく。実際浅野さんなんかは、この間仕事になってないと思うよ。だから浅野忠信さんもこの映画に懸けなくてはならないってことだよ。自分の人生を含めてね。その他の俳優も一発で参加するってことになった。なぜ皆が承諾したか。こういう映画作りに飢えていたんだ思う、こういう映画に。集まってきたスタッフも飢えていたと思う。俺もそうだった。こうした人達が日本映画の現状について、"何か違うんじゃないか、違う事をやらなくてはならない"と思っている時にこの映画が出てきた。そういう意味では、唯一無二の映画なんだ。映画が封切りされ、もしたくさんの人が見てくれたら、日本映画界に一石を投じることになると思う。逆にこけたらやっぱりあかんとなって、こういう映画作りはなくなるし、俺も日本映画界からおさらばしなくてはならないと思っているよ。だから、多くの人に見てもらいたい。
浅野さんとは、渋谷のホテルの一室で会って、帰るまでにやるかやらないのか決めてくれって迫ったんだ。きつい山の生活など全部説明して、それでもやってくれるかって。そうして決まったんだ。"モロ師岡"さんなんかは、東映の撮影所で脅したんだよ(笑)食堂に来てもらって、俺は狭い所が嫌いで他の人間を排除して1対1で会うんだ。「やるんだろ。やりたくないんだったら、いいんだけど」って詰め寄ったら、彼はやりますってすぐに言ったよ。(笑)

(C)2009『劔岳 点の記』製作委員会

宮﨑あおいさんの時はね、あの人は若いのにすごい女優さんだよ。俺のことじーっと見るんだよ。どきどきしちゃうよ。思わず宮﨑さんにあまり見ないでくれって言ったら、笑われちゃったよ。そんな雰囲気作りをしてから口説いたんだ。でも俳優さんたちはこの映画には何かがある、これぞ本物の映画と思ったからこそ集まってくれたのだと思う。 本当にすごい人たちが集まった。このキャスティングは、コラボレーションが良いってみなさんに言われますよ。 大体、俺一つの質問に対する答えが長いな。(笑)

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