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マイスターvol.19 映画マイスター:映画『はやぶさ 遥かなる帰還』完成記念 「瀧本 智行 監督 インタビュー」

監督オファーを受けた時について

瀧本監督はフリーの助監督だったころから、東映東京撮影所で仕事をされてきました。今回、その東京撮影所で製作される『はやぶさ 遥かなる帰還』の監督オファーを受けた時、どのように思われましたか?

今回、坂上順プロデューサーから監督のオファーをいただいたのですが、凄いプレッシャーでしたね。僕がセカンド助監督で参加した『鉄道員(ぽっぽや)(1999)』の時、坂上順さんは企画のトップ、雲の上のような存在で、あいさつをするくらいの方でした。監督も降旗康男さん、キャメラが木村大作さんという大ベテラン、加えて主演が高倉健さんという現場で、僕らのような若手スタッフは映画学校の生徒みたいなものでした。

その後、やはり坂上さん企画の『陽はまた昇る(2002)』の時には、チーフ助監督という責任のある立場になっていましたので、多少はお話をする機会も増えはしましたが、まだまだという気持ちでした。 それからも坂上さんには声をかけていただいたり、企画案や脚本作りに携わらせていただいたり、大分お話をさせていただけるようにはなっていたのですが、今回のオファーには「まさか」という思いでした。主演が渡辺謙さんで、東映60周年記念作品という大作映画でしたから「僕でいいんですか?」っていう感じでしたよね。

ただ、物語の説明を受けているなかで、坂上さんはご自身を、大気圏で燃え尽きていくはやぶさに重ね合わせているんだ、とおっしゃったんですね。でも、最後にカプセルを残していくんだ、と。それは、この作品のことを言っているということでもあるし、また次世代への継承という意味もあったんだと思いますが、僕はその言葉に、プレッシャーを感じながらも、凄く嬉しかったし「じゃあ俺がやるしかねえ!」と覚悟したんです。

その思いが、どのようにシナリオに反映されていったのでしょうか?


©2012「はやぶさ 遥かなる帰還」製作委員会

僕が脚本作りに参加したのは、脚本家の西岡琢也さんと、菊池プロデューサーが先行して取材を重ねられていて、ある程度シナリオがまとまっている段階でした。2010年の12月のことです。

坂上さんは、シナリオの内容に、あまり具体的な指示は出されませんでした。シナリオ打合せの時は、冒頭に時候の挨拶のようなことを言われて、ではあとは若い人たちで、とお見合いの仲人みたいに退場していく(笑)残された僕ら3人だけで作業するというスタンスでやっていたんですが。後から気が付くと、坂上さんの敷いたレールの上を、僕たち3人で走らされていたような気もします(笑)

例えば、この映画は『継承』がひとつのテーマなんですが、最初はそんなこと思いもしなかったんです。

今回、監督に起用されて「はやぶさ」のことを一生懸命勉強しながら、自分が「はやぶさの物語」を監督する意味を、徹底的に自問自答せざるを得なかったんです。これまではオリジナルシナリオでも、原作企画でも、自分が表現したいとことがあったので、迷わず対象に向かっていけた。ところが今回は、お話を受けるまで僕は「はやぶさ」に関心もありませんでしたし、全然理系の頭も持ち合わせていないので、取材で技術者の方のお話を聞いても、本質までは辿りつけない。

「何故、自分がこの映画をやるのだろう」ということをずっと考えながら、山﨑努さんが演じる町工場のおやじ、夏川結衣さんが演じるその娘、そしてその息子という3世代のエピソードを作っていく中で、西岡さんが“順繰り”という山﨑さんの台詞にたどり着いたんですね。僕はその台詞に「これだ!」と思ったんです。これこそが自分がやる意義だ、これは「世代のつながり」を描くべき話なんだと、テーマが明確になってきたんですね。

宇宙開発は、何十年にも渡って行われるもので、一つの世代だけでは終わらない。自分達の成果を次の世代に託して、またその次の世代に受け継がれてという形で、大きなミッションが成し遂げられていく。そのことが、撮影現場で一から叩き上げでやってきて、先輩方から教えていただいた財産で仕事をしている者として、凄く腑に落ちたんですね。


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