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東映デジタルセンター完成記念「音響設計の世界」

“計算による音響設計”を基本とし、そこから先は感覚の世界になる


アビー・ロード改修秘話
司会)
アビー・ロードの改修工事について伺います。
豊島)
きっかけは、タウンハウスというヴァージン・レコードのスタジオで、当時、カルチャー・クラブというバンドがあって、そう、ボーイ・ジョージがいたバンドです。
彼らが大ヒットを飛ばしていた頃、使用していたのがタウンハウス・スタジオです。

どうして私がこのスタジオを手掛けることになったかと言いますと、その頃日本のスタジオでは、機材のほとんどは輸入品(イギリス製)でした。確か機材のメンテナンスでそのイギリスのメーカーのエンジニアが来日し、メンテに入ったスタジオが私の設計したスタジオだったのです。

当初「日本にはろくなスタジオはないんじゃないか」と馬鹿にしていたんでしょう。

彼らはそのスタジオに大変感心し、本国に戻ってその様子を会社に報告したようです。当時我々はアメリカを見ていて、アメリカの第一級のスタジオに少しでも近いものを目指し、それに音響設計理論を織り込んでいましたから。そうしたことが認められて、タウンハウスの改修話が持ち上がった際、アメリカの設計者トム・ヒドレーと我々とを天秤に掛けてみようとなり、結果私が設計することになったんです。

その後、オリンピック、メトロポリス、サーム・ウェスト等メジャースタジオを手掛け、やがてアビー・ロードからコンペのオファーがあったのです。
 
【写真:アビーロードスタジオ正面】門柱と塀はビートルズのファンの落書きで真っ黒
司会)
当時のアメリカのスタジオとはどういうものでしたか?
豊島)
アメリカでは80年代までレコード会社が皆スタジオを持っていました。コロムビアとかRCAとかね。ところが、製作者サイドから自分たちで使い易いスタジオを作ろうという機運が出てきて、今で言うインディーズのようなやり方ですね。メジャーのスタジオはだんだん使われなくなりました。

特に西海岸を中心とした独立スタジオが多くなり、結果メジャーのスタジオは次第に無くなっていきました。いわゆるインディペンデント系がメジャーに取って代わったんです。私たちはこうしたアメリカのスタジオの状況について、本を読んだり何度も現地に行ったりして学びました。
司会)
その特徴とは?
豊島)
我々は音の専門家でしたから、音の世界ではそれほど驚きはありませんでした。ただし部屋の大きさ、雰囲気、色使い、材料には注目しました。当時はレッドウッドをふんだんに使ったスタジオもあったりして、ある種のカルチャーショックを受け、我々も「ああいうのを作ろう」と思ったりしました。

日本もバブル期でしたからお金も掛けられましたし(笑)。話は戻りますが、結局タウンハウスはアメリカの設計者とのコンペの末に我々が勝ち取りました。
司会)
勝因は?
豊島)
それは、理論的な設計と日本人の繊細さ、細かいところまで仕事をする点でしょうか。基本的にアメリカの設計家の多くは音響の基礎がなく、経験でやっていました。先ほどの世界的な音響設計家、トム・ヒドレーは、もともとサックスのプレヤーで、体を壊したことからスタジオ設計の世界に入ってきました。

音楽が分かり、センスがあり、耳が良かったので、アメリカで数多くのスタジオ設計を手がけ、一時は、ニューヨーク、ナッシュビル、LA、サンフランシスコなど全米で1000軒以上のスタジオを設計していました。そのトム・ヒドレーなど海外のデザイナーに対して、我々はあるレベルまでは“計算による音響設計”を基本としてやっていこうと決めました。

東映さんの場合もそうですが、その計算による音響設計から先は感覚の世界になるので、実際に耳で聴いて判断するようにしています。その点が今まで評価されて来ているのではないかと思います。
眞道)
イギリスのアビー・ロードに行くと、豊島さんの名前がよく出てきます。
 
司会)
その“計算”というのは大変なんでしょうか?
豊島)
大変って言っておかないと我々の仕事がなくなる(笑)。計算そのものはある程度公式が決まっています。どの計算式をどの状況で使うかという見極めが大切です。厳密に言うと、広さ、材料だけでなく空気の湿度なんかも加味しなくてはならない場合もあります。
眞道)
それは、経験値だと思います。建築屋さんに頼んでも数値は出てきます。この材料は遮音率、反射率はいくつとかね。そうしたデータがあるので計算式によって様々な数値が一応出てきます。
しかし実際の建築では、それらは微妙に変わってきますし、その変化は音響設計を実際やってみないと分かりません。
豊島)
それと実際目で見た形が重要です。どういう形のスタジオが音がいいとか、変な反射がありそうだとか分かるようになります。その辺りがノウハウですね。スタンディングウェーブと言って、ある特定の周波数の波が立つ場合なんかもあって、計算だけでなく経験値が必要とされます。
司会)
デザイン性、居住性についてはいかがですか?
豊島)
アーティストがクリエイティブな活動をする場ですからそれらは重要です。そのためアビー・ロード第3スタジオはスタジオ自体を大改造して3階分吹き抜けにして天窓を付け、スタジオ内部に洒落たロビーを設けました。

またタウンハウス第4スタジオでは、エンジニアの居住性を考えて今までのコントロールルームの2倍ほどのスペースをとりました。ジェネシスのフィル・コリンズが、タウンハウス・スタジオを使ってレコーディングしていて、新築の第4スタジオを見て「面白い、誰が設計しているんだ」となりましてね。

たまたまその頃ジェネシスのスタジオの改修計画があり「彼にやらせよう」となった訳です。その後、彼のエンジニアであるヒュー・パジャムから時差も考えず夜中の3時に電話が掛かってきましたよ。(笑)その時の工事で、イギリスの建築家ジョン・フリン氏とチームを組みました。

その縁で、アビー・ロードの時もチームを組むことによって良い仕事をすることができたのです。
 
【アビーロード第3スタジオ】ロビーから俯瞰した写真
眞道)
映画スタジオの仕事をするようになられたのはいつごろからですか?
豊島)
実はアビー・ロード・スタジオの第1スタジオは映画用のスコアリングステージとして有名でハリウッドも使用していますが、映画専用スタジオとしては、スカイウォーカーのスコアリングステージ(※1)にブース(※2)がほしいと依頼されて作ったのがきっかけです。

昔はオーケストラのみでしたが、いろんな音楽や楽器が登場し、別々に録音できるような環境が必要となってきたんですね。それが今から25年前。その後本格的に映画スタジオに携わったのは、映画製作本数で世界一のインドです。ITで有名なバンガロールの近くのハイデラバードという都市に、日本のディズニーランドの5倍くらいの広さがあるレジャーランドを、映画会社が保有していて、その中に総合映画スタジオを造りました。
 
※1:映画音楽楽音用として、オーケストラが入って演奏するホール
※2:大きな音の楽器や、弱音楽器用の遮音された録音スペース
眞道)
東映の映画村みたいなものですか?
豊島)
そうですね。更に中にホテルが3つもあります。そこで本格的な映画用の音のスタジオを作りたいという依頼でした。ラモジー・フィルムという大手の映画会社です。今から15、16年前になりますが話があってから完成まで2年ほどかかりました。基本的には図面上での仕事で、現地には要所要所でチェックをしに行きました。
司会)
気候による音への影響はありますか?
豊島)
室内ですから特にはありません。よくカルフォルニアは良い音がすると言われますが、関係ないのでは(笑)。先ほど湿度が影響するという話をしましたが、湿度がない分高音が少し伸びるというのはありますが、音そのものは変わらないと思いますよ。

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