東映ホーム > 東映マイスター > vol14音響マイスター 「良い音を聞きたい」と思っていました

東映デジタルセンター完成記念「音響設計の世界」

「良い音を聞きたい」と思っていました


音響設計を始めたきっかけは?
眞道)
音響設計の仕事を始められたのは、日本ビクター(株)に入られた時からと聞いていますが。
豊島)
実は大学の頃からで、大学院で2年間、音響設計を学びました。
その時の教授が音響工学の権威、伊藤毅先生で、先生のお手伝いであちこちの市民会館等の建築音響設計をやっていました。その流れでビクターの音響技術研究所に入り音響設計を担当、今に至っています。
 
眞道)
ビクターでの最初の大きな仕事は、万博と伺っていますが。
豊島)
大阪万博の日本政府館という建物を手掛けたのが最初でした。
ホールの内装設計を担当しましたが、あまりに規模が大きくて計算に乗るかが心配でした。そこで1/10の模型を作って実際に音を出して確認することにしました。

1/10ということは、周波数は10倍となります。普通耳で聞こえるのは20Hzから20KHzまでですから、200Hzから200KHzまで出さなくてはならない。さすがに200KHzは無理でしたから100KHzまで出して聴感も含めた実験をしました。
眞道)
1/10といっても結構大きいですね。
豊島)
ですからビクターの体育館の中に模型を作って実験を行いました。
眞道)
当時は今のようにコンピュータシミュレーションもありません。
どのように実験をされたのですか?
豊島)
実際に幾つかの座席に測定点にマイクポイントを設けて測定し、測定値を周波数変換して試聴したり、データを作成していきました。計画から1年を要し、実験自体は半年間にも及びました。当時ビクターは松下電器グループでしたから、松下とビクターの両社で音響及び設備設計を行いました。
 
眞道)
その音響設計を豊島さんが担当されたのですか?
豊島)
設計事務所と共同で最初に建築設計を行い、それに絡めてスピーカーやポジション等を決めていきました。ですから音響設計の世界は、建築だけでなく電気系が分かっていないと設計できないんです。
司会)
豊島先生の子供の頃は?
豊島)
僕は昔からオーディオマニアで、小学生の頃から「良い音を聞きたい」と思っていました。親の影響でクラシック音楽が好きで聴いていましたからね。音を良くするというのはアンプやスピーカーをいじったりするわけですが、その際重要なのが“部屋”でした。

いくら良いスピーカーやアンプを作っても結局部屋が良くないといい音が出ないと分かり、大学では建築もやらなくてはと思い立って、建築音響の勉強を始めました。この学問は電気と建築の中間にある特殊なジャンルで、当時やっている人はあまりいなかったんので、その点は良かったかな(笑)。
 
眞道)
例えばスピーカー一つを取っても、音が壁に反響して変わってきたりします。
司会)
とにかく先ずは耳が良くなくてはいけませんね。
豊島)
私は音楽を聴くのが好きでしたから。よく音楽会に行っていました。
この仕事をしていますと音が分からないといけない。
また録音エンジニアの方々と話をしていて何を言っているか分からないのでは駄目。
そのためにはやはりいろいろな人と一緒に仕事をしていくことです。
そうしたなかで感覚の共有が生まれてくるんです。

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