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第29話 強くてハダカで強い奴

2009年8月16日O.A.

Episode Guide

大ショッカーに使い捨てられようとしたと知りながら、それでも返り咲きを望む少年マサヒコ。
マサヒコは、ギギの腕輪を奪って逃走する。
彼を一途に信じようとした、アマゾンの思いは裏切られた。この国で、アマゾンを受け入れてくれる人間は、結局ひとりも見つからなかった。

この世界に愛想を尽かしはじめたユウスケは、別の世界へ脱出することを提案する。
心の拠りどころをすべて失ったアマゾンもまた……。
しかし士(つかさ)の心には一つの疑問が芽生えていた。なぜマサヒコは、そこまで大ショッカーに執着するのか? と。

一方、ギギとガガ、2つの腕輪を得た十面鬼とアポロガイストは、いよいよ恐るべき計画をスタートさせようとしていた。



長石監督は、往年の『仮面ライダー』第1作(1971)から助監督として辣腕を振るわれていました。
中でも『アマゾン』(1974)は第1~4話の脚本まで手がけ、ゆかりの強いシリーズ。
35年の時を経てよみがえったアマゾンへの愛が炸裂する29話。スーパー大切断も炸裂!

主演映画『ぼくとママの黄色い自転車』の公開も近づいた、武井証くんの演技も光ります。


 脚本:米村正二  監督:長石多可男

Production Note

劇場版、スーパー大ヒット!

8日(土)、ついにロードショーの旅に出発した劇場版。
すでに公開前から、ライダー映画の記録をことごとく塗り替えてきました。
全国300スクリーンというスケールも過去最大ですし、前売券も、これまでの記録ホルダーに大差をつけてダントツ。
ライダー映画最大のヒットとなるのは間違いないでしょう。
本当にありがとうございます!

もちろん『ディケイド』単体の力というより、『シンケンジャー』人気はもちろんのこと、歴代仮面ライダーのファンの方々の熱い思い、あるいは『W』への高まる期待感あってのこと。

日本人なら誰もが、どこかで人生が仮面ライダーと交わる瞬間がある。
そんな瞬間が凝縮された映画だと思います。
ディケイドの映画であり、オールライダーの映画であると同時に、観客の方々の人生の一部がスクリーンに映し出される映画なのだと思います。

いま、この瞬間だからこそ体験できるスーパーイベントです!




セブン-イレブン「ディケイド」キャンペーン

劇場版記念、セブン-イレブン限定企画のディケイドキャンペーン。
Aコース・Bコースの大盤振る舞いもさることながら、50,000名様に当たる限定スペシャルムービー『オールライダー対しにがみ博士』が、相当スゴいことになりつつあります。

オールライダー超スピンオフ』とは、またぜんぜん違うベクトルで、ディケイドならではの超絶ワールドが展開します。
DVD 化とか不可能! まさに文字通り「限定」。

《プロローグ映像》の配信がスタートしていますので、その一旦を垣間見てください。本当に《プロローグ》でしかありませんが……。

絶賛制作中!





強くてハダカで強い奴!!

アマゾンは野生児。
言葉はカタコト、いつでもハダカ。奇声を上げては噛みつく、引っ掻く……。

いまから見ると、とんでもない異色作です。

今回アマゾン編をお送りするにあたり、『アマゾン』についていくつか考えてみました。
(個人の感想です。←公式サイトでやるなよ……)

 

(1) モチーフはピラニア?

ディケイドの撮影現場で、初めてアマゾンライダーを見たスタッフいわく、「アマゾンだからピラニア?」。

公式的には「アマゾン=マダラオオトカゲ」なのですが、素直に見ればたしかにピラニア。キュートな背ビレといい、熱帯魚チックな極彩色といい。そもそもマダラオオトカゲなんて生き物、ホントにいるのでしょうか?
もしピラニアだとしたら、それをトカゲと言いつくろった事情が、何かあったはず。

と、1974年当時の世情を振り返ると……

『仁義なき戦い』が大ヒットしたのが1973年。
この映画でも大活躍した「東映ピラニア軍団」なる俳優集団が、その名を高らしめていました。
東映作品でピラニアと言ったら、悪役イメージが……みたいなことがあったのかもしれませんね。

 

(2) なんで全24話?

『アマゾン』は全24話。
全ライダーシリーズでも最短です。そこで口さがなく、「不人気で打ち切り」なんて言う人もいて、2番目に短い『ディケイド』も後年、そんなふうに言われたりするのかなとか。(^^;

1973年、NET(現テレビ朝日)の主要株主が日本経済新聞社から朝日新聞社に移行します。
テレビ局もまだまだ激動の時代でした。資本系列の変動に合わせてネットワークの再編が進められ、東京での『仮面ライダー』枠は NET から TBS に移ることになりました。
この切り替えに合わせて企画されたのが『アマゾン』。

1975年4月から、NET では『アマゾン』の後番組として『秘密戦隊ゴレンジャー』が始まり、(それまでライダーを放送してない)TBS で新番組『仮面ライダーストロンガー』がスタート。
いまにつながる「戦隊+ライダー」の2大番組状態は、ここに端を発します。
つまり『アマゾン』は、「戦隊+ライダー」を生み出すために存在したシリーズでもあったということ。

どんな番組も時代の子ですが、最も激動の時代を生き抜いたのみならず、最も大きな成果をもたらしたシリーズといえるかもしれません。

 

(3) 野生児がどうしてライダーの《原点》?

何かと「原点回帰」が謳われたりするライダーの企画。
その嚆矢こそ『アマゾン』です。企画書には、ある意味クールに客観的に「仮面ライダー」を見つめる視線があり、平成ライダーの企画書と言っても通用するほど。
でも、仮面ライダーの原点を見つめたら、なぜ「強くてハダカで強い奴!!」になってしまうのか。

《密林の野生児》は、1960年代ごろまでザッツ・ヒーローの定型のひとつでした。
毎年のように『ターザン』の新作がつくられ、東映でいえば『狼少年ケン』(1968)が大ヒットしたり。
アマゾン当時は、《野生児》はいまほどトンデモ設定という感覚ではなかったのです。

高度成長とともに、宇宙人やサイボーグといったSFチックなヒーローがもてはやされはじめていました。
『仮面ライダー』もその一翼とみなされながらも、社会の中の異物こそ仮面ライダー。高度成長社会とは異質な《異人》という表現で、社会とライダーの断絶を表現できるという確信もあったのではないでしょうか。

長石監督にお聞きしても、アマゾンが《異色作》という認識は感じられません。
当時の製作者は、アマゾンを「異物」として描こうとしていたとしても、《異色作》にする気はさらさらなかった。
けれども、いま原典を知らない世代にまで人気を集め、35年後の番組で『アマゾン編』が制作されるような普遍性を勝ち得たアマゾン。それは、当時の状況から離れれば離れるほど、その異色ぶりが際だってくるからでもあります。
普遍性を意図したものが異色に見え、その異色に見えることが、アマゾンに普遍性をもたらす。

普遍的な仮面ライダーを目指した『アマゾン』の意図は、めぐりめぐって、いよいよ達成されつつあるのかもしれません。



(文責・白倉伸一郎)

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