東映ホーム > 東映マイスター > vol9渡瀬恒彦京都撮影所マイスター なんで役者さんがスピンの練習をするんだ(笑)

撮影所マイスター対談 『渡瀬恒彦さんと東映京都撮影所』

なんで役者さんがスピンの練習をするんだ(笑)


あの時代の渡瀬さんは、とにかく熱く突っ走ってしまう方でしたね(奈村)
でもああいう時って、うまく出来ちゃうもんなんだよな(笑)(渡瀬)
奈村)僕が東映に入社してすぐ、工藤(栄一)監督の「忍法かげろう斬り」(1972年関西テレビ)に進行として付きました。この番組はお兄さんの渡哲也さんが主役でしたが、途中で体を壊されて、渡瀬さんが引き継ぐことになった。確かそのロケ現場に渡瀬さんが来られた時が初対面だったと思います。あの時代の渡瀬さんは、“無茶振り、やんちゃ”という印象があって、とにかく熱く突っ走ってしまう方でしたね。ある朝早く、僕が撮影所に入ると、所内の駐車場で“キキーッ”て音がしている。何かなと思って見に行くと、渡瀬さんが自分の車(フェアレディ240Z)でスピンの練習をしているんです。なんで役者さんがスピンの練習をするんだろって。

渡瀬)車とか、スタントは好きだったからね。

奈村)ある時冗談で、「奈村な、東京へ運ぶ荷物がないか?」って。当時は東京まで新幹線でも3時間15分かかったんですね。「俺だったら3時間で本社に運んだる」って。

渡瀬)あまり映画と関係ないけどね(笑)

奈村)何かそういうのを認めている雰囲気が撮影所にはありました。渡瀬さんにとって京都撮影所で印象深い監督と言えば、中島(貞夫)さん、工藤さん、深作(欣二)さん、山下(耕作)さんでしょうか。京撮では若い人を愛称で「○○ちゃん」とか、「○○ぼん」とか呼ぶんですが、渡瀬さんの場合は、監督を始め「恒(つね)さん」と呼ばれていた。皆さん別格に見ているところがありました。

-基本的にアクションは自分で演じるという思いがありましたか?-

「狂った野獣」

渡瀬)競争するところがそこしかなかったですからね。錚々(そうそう)たる俳優さん達の中に入って、生きていくためには何かやらなくてはならない。中島監督の『狂った野獣』(1976年)では、カーアクションでバスを引っくり返したこともありました。最初は普通の自動車でスタントをやりたいと言っていたんですが、製作部に止められて、じゃあバスで、となった。それでスタントの方に「バスでやったことがあるの?」って聞いたら「ない」って言うんですよ。だったら条件は同じじゃないですか。「じゃあ俺がやる」って言ったら、川谷拓(三)さん、野口(貴)さんとか、片桐(竜次)達が一緒に乗ると言い出した。「じゃあカメラも中に入れよう」と中島さんが言い出して、バスの中にロープで固定して、「用意・スタート!」で走り出し、役者の誰かがカメラのスイッチを入れて芝居をする。そして、滑り台の様な坂道を使ってバスの片輪を上げ、傾斜したまま走ってから横転させました。出演者が全てやってるので、リアルないい画が撮れましたよ。

奈村)一度みなさんにはDVDで見てほしい。中の映像で渡瀬さんが運転しているのがハッキリ映っていて、すごいシーンです。

渡瀬)でもああいう時って、うまく(大型の)免許証を取れて出来ちゃうもんなんだよな。他にも清水彰さんの初監督映画(「学生〈せいがく〉やくざ」1974年)で、狭い道を車で追い駆けられるシーンがあった。普通にやると面白くないと思って、「向こうから来た車の上を飛び越せないの?」って思って、テストしたら行けそうだと。いざ本番となると、膝がフロントガラスに当たってガラスに穴が開き、そのまま落ちてしまった。それでも立ち上がって走りましたよ。
-1度大怪我をされていますが-

「北陸代理戦争」
DVD発売中 4,725円(税込)
発売元:東映ビデオ

渡瀬)深作監督の『北陸代理戦争』(1977年)で、海岸に敵の組員を並べて、ジープで撥ねていくシーン。その日はいい雪が降ったんです。雪に轍が付くのが嫌じゃないですか、それでぶっつけ本番となった。そうしたらハンドルを切ったところに段差があって、雪で分からなくてね。次の瞬間運転していた自分の体が飛んで、その上にバウンドしてひっくり返ったジープが落ちてきた。ジープはスペアタイヤを積んでいて少し浮くんですが、その間に体が入ってしまって…

-その事故をきっかけに考えが変わられましたか?-

渡瀬)それはないですね。

奈村)僕はその事故・怪我で、渡瀬さんがその後東映から離れて、違う場に仕事を求めるようになる転機になったと思います。東映時代とは別の作品や監督方との出会いがあり、違ったお芝居をされているなと感じました。

渡瀬)結果的には芝居の幅が広がりましたね。



©東映

東映リリース