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教育映像マイスター「教育映像の魅力とは」

歳を経ても人の中に消えない何かを残せる、そういうものを書きたいと思います


新作『ボクとガク』、命のリレーを描く
鎌田)このアニメーションは、“ボク”と言う主人公と転校生の“ガク”と言う小学5年生の男の子が近所に住むおばあさんとの交流を通して成長していく話です。その中に、八幡大空襲の話も盛り込んでいます。

『ボクとガク』(北九州市)

山上)“友達って何だろうね”っていうのが1つのキーワードです。実は、この話のヒントになったエピソードがあります。知人の小学生の息子さんの話なんですけれど。その男の子は、とても個性的で面白い子なんです。だけど、個性的すぎて枠にはまりきれずに先生に怒られたり友達ともめたりで、周りからは問題児扱い。トラブルが起こるたびに、母親が相手の子や親に頭を下げにいく。すると、あるお母さんから言われたそうです。「いいんですよ、おたくのお子さんはかわいそうな子なんだから。うちの子は優しいので仲良くしてあげますよ」と。そのお母さんは、この言葉が相手を傷つけていることに気づいてないんですね。でも、“かわいそうな子だから優しくしてあげる”ってことを善意と疑わない親たちって、ちょっと鈍感すぎやしないかっていう思いが、『ボクとガク』の背景にあります。

「友達って上も下もないよね」っていう台詞があったり、「優しくしてあげたっていう言葉はちょっと違うよ」と近所のおばあちゃんが言ったり、そんな風に大人たちがヒントをあげることでハッと子どもたちが気付いたり、その逆もあったり。企画を考えるにあたって、北九州市から提案されたテーマが、“子どもの人権と命を守る”というものでしたから、子どもを主人公にしました。

八幡大空襲に関しては、自分の地元でありながら無関心で、大人になって初めて知りました。『いわたくんのおばあちゃん』に携わったことで、戦争への意識も高まり、改めて戦争を語り継がなければならないと思ったんです。北九州市では、昭和20年8月にたくさんの人が空襲で亡くなっているのですが、実際取材しても、みんな生きるのに精一杯でだんだん戦争の話もしなくなっています。それで、今回子どもを主人公にした話の中で、友情だけでなく“命のリレー”というものについても一緒に描こうと欲張ってみました。

今あなたたちが生きているこの時代は過去につながっている、戦火を生き延びた人たち、その子どもたちが生命を全うして、さらに未来へとつなげていくという “命のリレー”です。

鎌田)『ボクとガク』は広島の原爆の絡みもあります。本当は小倉に原爆が落ちる予定でした。原爆搭載機は、折からの悪天候に加え、前日8月8日の八幡大空襲の焼夷弾の煙のため目標地を目視できず、長崎に変更しました。そういう経緯を地元の人も結構知らない人がいます。

山上)北九州市のアニメーションをほとんど毎年のように作らせて頂いていますが、地元の関係者による製作委員会の場で、「もしかしたら長崎は北九州市だったかもしれない」、「戦争の語りべとして広島・長崎に任せきっているのでは」という意見があり、北九州市としても平和の声をあげていこうという大きな流れになりました。二人の男の子の友情がベースの話ですが、そこから大きな話が展開していきます。

中鉢)日常のなかにあるいじめや対立などは、実は戦争まで引き起こしてしまう人間の深い部分に繋がっているのではないかと思います。

鎌田)『ボクとガク』では、おばあさんがボクとガクに昭和20年の八幡大空襲で兄を失ったことや戦争の悲劇を教え、今でも、どこかの国で戦争が起きているし、この瞬間にも、戦禍や飢えで多くの子どもたちの命が失われている事を忘れないで、と言うところのセリフがじーんときますし、好きですね。

山上)戦争が過去の話として終わっていません。もちろんおばあちゃんの体験談は過去ですが、それを必ず今を生きている子どもたちにつなげて、「今これから考えよう」って、それが“教育映画”なのかなと。

鎌田)八幡大空襲に関しては、かなり取材をしました。もちろん現地には当然何度か行き、お話を聞いたり図書館にも行って調査しました。

山上)アニメの中に“小伊藤山”というのが出てきますが、そこは昔防空壕があって、住民が逃げたんだけれど爆弾が落ちて300人が一度に亡くなった場所。でも意外と地元の人も知らないんです。今回の監督の上田真一郎さんがそこに実際に行った時、千羽鶴を祈っていらっしゃるおばあちゃんたちがいたそうです。話を聞いたら、戦争を風化させない為に自分たちが集まったことや、当時の体験談を話して下さったと。それはたまたまだったんですが、そこで監督が感じたものを私のシナリオの上に足して頂いたことで、映像に厚みが出てきました。

子どもたちに何を伝えたいですか?

鎌田)先ず分かりやすく見せるということと、台詞の中からどうやったら子どもたちが気付いてくれるかを気にしますね。

山上)「どういうものを書いてるの?」と聞かれて、「教育映画、人権啓発映画」って言うと、「ああ、昔学校で観せられたあれね」という返事がすごく多いんですね(笑)、必ず「観せられた」という言葉になる。作っているものとしてはズキンときますが、当然なんですよね。自分がお金を出して払って観てみたのではなく、授業やイベントの一環として、「これを観ましょうね」と一方的に観せられたわけだから、その言葉は間違ってないし、全然普通なんです。でもその言葉を書き手として聞いてしまうとちょっと寂しいと思います。私が教育図書や人権ものを普通に読んでいたように、「学校の教室で観せられたけど、今でもあのシーンが浮かぶの」と、歳を経ても人の中に消えない何かを残せる、そういうものを書きたいと思います。

それとやはり、説教くさくならないというのは自分の中で気をつけていることです。それと答えを出しすぎないこと。子どもの会話は疑問符が多いと思います。「どうして○○なの?」って。知らないことが多いから。大人は答えみたいなのが自分の中にあるので、「それはそういうもんだよ」とあっさり終わってしまいますよね。ですが教育映像の仕事をしていると、子どもの頃に疑問に思ったことにもう一度立ち返って、その目線で考えてみようという、“フィードバック”作業が自分の中であります。例えば、とある学校の先生の「悪いことをする子はいるけれども、悪い子はいない、と思って私は仕事をしている」という言葉がヒントになって、『千夏のおくりもの』(大阪府)という大阪の子どもが主人公の話を作りました。保育園に、「あの子は悪い子だ」と言われている男の子がいるのですが、ある日、園長先生が他の子どもたちに問いかけます。「○○君はなぜ悪いことをしたのかな?必ず理由があるから、一緒に考えよう」と。すると子どもたちは“相手を理解する”っていう気持ちになって、ただあの子とは付き合わないってだけに終わらないですよね。こういう疑問符を物語の中に入れていく、自分で考えながら見てもらえるものを作るというのが、子どもに向けては大事なのかなぁと思います。

『千夏のおくりもの』
千夏のおくりもの

鎌田)最近ライブラリーから学校が借りるってことが少なくなりました。

中鉢)“視聴覚ライブラリー”が各市町村にあって、そこで一括して映像を買い上げることが多いですね。そこから学校が借りるケースが多いんですが、予算がなくなってきて整備されなくなってきていて、独自で買うような学校も増えています。

鎌田)学校もテレビから引っ張ってきている。なかなか自主で作っているものが売れないこともあります。学校は“ゆとり教育”で映像を見る機会がなくなってきたんじゃないのかな。

中鉢)それこそこの対談を通じて、興味を持った人が先生に紹介したりして広がってもらいたいと思います。


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